2017/5/20(土)より、同じく恵比寿にある東京都写真美術館では、インド出身の写真家Dayanita Singh(ダヤニータ・シン)の展覧会「インドの大きな家の美術館」が始まりました。本展にあわせて来日したダヤニータがPOSTへ来店、トークイベントに登壇していただきました。
開口一番、「世界で一番本をつくることがすき」と語り始めました。このことばこそ、彼女のすべてを物語っています。「写真を撮ること=本づくり」だと捉え、本自体が作品だとみなしています。あくまで写真は本をつくるための素材、展覧会は本のカタログに過ぎないと言うのです。
今でこそアーティストブックのように、アーティストの表現媒体のひとつとして成立した本というのは認知が広がり確立されていますが、彼女が初めての写真集・Zakir Hussain(Himalayan books刊、1996年)を出版した当時、こうした概念を理解してもらうことさえも難しかったようです。
Myself Mona Ahmed(Scalo Publishes刊、2001年)
最初の出版から15年を経て、ようやく2冊目の写真集が刊行されました。本書の印刷を担ったドイツのSteidl(シュタイデル)社創始者であるGerhard Steidl(ゲルハルト・シュタイデル)氏とは、これをきっかけに出逢いました。
シュタイデル社は、アーティストと密なパートナーシップを構築していくスタイルを重んじ、ともにひとつの出版物を生み出しています。世界各地からアーティストがゲッティンゲンにある社屋を訪れ、滞在しながら制作していくのです。(社員食堂もゲストルームも完備しているのだとか!)
「実際に出版が決まると話が早い」というのは、シュタイデル氏の定説。もちろんダヤニータのときも例外ではなく、実質的な制作時期は6ヶ月にも満たなかったそう。
スピード感にあふれるこの期間のなかで、シュタイデル氏は「あなたはカタログをつくりたいのか?それともアーティストブックをつくりたいのか?」と問いました。ダヤニータがその違いを尋ねると、「アーティストブックは本の制作にまつわるあらゆることを、すべてアーティスト自身が決めなければいけない」と教えてくれました。
これが、のちの彼女の活動のなかで欠かすことのできない指針となっていきます。
シュタイデル社とのコラボレーションを通じて、彼女は持ち前のチャレンジ精神を後ろ盾にして、実験的な試みを繰り返していきます。
chair(Isabella Stewart Gardner museum & Steidl刊、2005年)
初めてアコーディオン形式の製本をした本書では、プライベート・ディストリビューションというユニークな方法を編み出しました。
販売という方法をとらずに、世界中の友人50人にそれぞれ10冊ずつ託し、各々が決めたルールのもといろんなひとへと配ってもらうように頼みました。彼女から制約を設けたり、その進捗を追うようなことは一切しなかったことで、思いがけない形で広まっていきました。
実際の編集作業は、コンタクトシートを使って進めていきます。コンピュータに頼らず、自前のノートブックを土台にして模型をつくるかのようにコラージュを重ねていくのです。いつどこでアイディアがひらめくかわからないから、彼女はいつも旅にプリントを入れた箱を持ち出します。
Sent A Letter(Steidl刊、2008年)
前述したような自作の本のなかから7冊を抜粋して再現しました。
制作に関してはシュタイデル氏が「編集をしなおさないで、オリジナルのまま出版したい」という意向のもと、「ドイツで本の箱をつくると機械的になってしまう。インドで箱をつくるのはどうか?」というさらなる提案があり、インドで郵便ポストで使われている布でつくられた外箱がつくられることになりました。
ダヤニータは、本書にまつわる面白いエピソードをひとつ話してくれました。
インド・カルカッタにあるジュエリーショップのあたりは治安が悪く、ジュエリーをショーウィンドウに飾ることができないため、からっぽの状態だったそうです。ダヤニータはこのスペースを使わせてもらえないかと願い出たところ、店長がかねてより彼女のファンだったこともあり、快諾してくれます。そこに設えたものが、[Sent A Letter]でした。2008年に初めて飾って以降、今もなお継続して展示されており、本展は彼女にとって最も長期間にわたる展覧会の記録を更新しています。美術館やギャラリーに頼ることなく、自分の思うようなスペースに作品を飾ることができた実例として、本の重要性を再認識しました。そして、「本が展覧会になる」と確信したのです。
File Room(Steidl刊、2013年)
本書に起用されている紙は、写真用のものではなく書籍用の紙です。本書の制作に関して、彼女は表紙の色を複数の異なった色を使うこと、そして表紙のビジュアルと中面に収録されて作品図版とを同じ大きさにしたいというふたつの意向がありました。当初は「それはあまりいいアイディアではないので、僕はやりたくない」と言い放ったシュタイデル氏も、一晩たったあくる日の朝には「やろう!」と決心を固めます。
母国インドの美術館で展覧会の話が舞い込んできたとき、美術館側には潤沢な予算がありませんでした。こうした状況を受けたダヤニータは、77冊のこの本を持参して、切り取って表に貼るというアイディアを創出しました。実はこのことはシュタイデル氏には内密に進めていたそうですが、結局耳に入り、彼もとても喜んでくれました。
彼女の感性は、ブックサイニングの際にも健在です。1冊1冊をユニークにしたいという想いから、サインを入れる際にオリジナルのスタンプを使います。
Museum of Chance(Steidl刊、2015年)
本書では、「可動式美術館」という概念を体現しました。前作からさらに発展し、88点の異なったカバーをつくりたいと考えました。バリエーションが多いほど、彼女にとっては展覧会の構成がしやすくなるのです。この旨を申し出たところ、シュタイデル氏は「ばかげている」と一蹴。「それなら自分でやる!」と言った翌朝、「今回が最後だよ」と釘を差しつつ快諾してもらえたそうです。
本自体のクオリティが高いからこそ、本を用いた魅力的な展覧会が実現する。これは、シュタイデル社の技量なくして成しえないことです。シュタイデルとダヤニータとの関係は、まさにシークレット・コラボレーション。斬新な彼女のアイディアに対して一旦はNoというけれど、いつも出来上がるものを喜んでくれます。
Museum Bhavan(Steidl刊、2017年)
現時点での最新作となる9冊の写真集(+1冊のテキストブック)は、まさに9つの美術館・9つの展覧会と言えるでしょう。本を収める箱はそれぞれ違った柄をしていますが、これは「選ぶ」ことの大切さがよく顕れています。
木版画の下に敷く布でつくられた箱はドイツで制作されたのち、輸送され世界中に渡ります。Amazonをはじめとするオンラインショップで買うとき、購入者はどの柄かを選ぶことはできません、ですが、実物を手にとれる環境にあれば、すきな柄を選ぶことができるのです。
本は展覧会であり、物質的なモノでもあります。この点においてもダヤニータは、本であることの重要性を強調しています。小ぶりな写真集はどこへでも持ち運ぶことができ、さらにその場所で即座に展覧会を構成することができます。彼女のことばを借りるなら「ポケット・ミュージアム」であるこの本によって、読者は自分だけの美術館を所有することができるのです。
トークイベントを終えて
ひととおり彼女から語られるストーリーを聴かせてもらって感じたのは、こよなく本を愛していること。
そして、ユニークであることの大切さでした。
わたしたちを取り巻く現代社会では、一辺倒なものの見方や制度にがんじがらめになっていることや、合理性が優先されすぎるきらいが少なからずあります。既存の枠組をものともせず、心から望む表現のために慣習を打ち砕く姿勢に、いつしか周囲のひとたちの胸を打ち、彼女とともに新たな展開を志すようになっていく。情熱を持って真摯に取り組めば、状況が味方になり風向きが変わっていくものなのだと感銘を受けました。
文:錦 多希子(POST/limArt)